その後、昨年と同じく、西鉄薬院駅で下車して城山ボールでのボーリング大会を9人で行った。左手
を骨折しているS君も右手だけの力を振り絞ってがんばった。メンバーのほとんどがボーリングを
するのが1年ぶりとか、しばらくしてないということで、低レベルの戦いが予想されたが、130点前後の
スコアから全体的に徐々に加速し、ボーリング1ゲーム分を賭けた3ゲーム目には180点や190点台の
スコアが出るなど実力の伯仲した戦いとなった。
全体的な雰囲気の高まりとは裏腹に3ゲーム目の絶不調で大いに勝ち側に加担してしまった筆者は苦い表情で、渋々
記念撮影の中に入れられる羽目になってしまった。
深夜2時すぎ、一日のエネルギーを使い果たし、大いに満足した彼らはタクシーに便乗して帰路についた。
そろそろ西暦2000年が近づきつつあるが、研究の方は加速曲線を描くように、貪欲さを持って、さまざまなことを
吸収せねばと思うこの頃である。「無理やりのフィナーレ」とともに 1999年の「街道をゆく」(完)
マイクロ波・光通信用超伝導デバイス研究室